高射砲第2連隊の歩哨所などの保存を

 太平洋戦争中、富勢村根戸(現柏市根戸)にあった高射砲第二連隊の遺物が廃棄されそうになっています。高射砲第2連隊は、防空飛行隊とともに帝都防空の任を負った部隊で、正門一対が根戸高野台の公園に移設されています。その他の遺構・遺物の多くはなくなってしまいましたが、数十年前に歩哨所・側門・馬繋索など、土木会社の空き地に放置されていたものを関係者が引き取り、個人で保存されてきました。
 しかし一昨年、その関係者が亡くなったため、遺物を廃棄せざるを得ない状況になりました。
 当会役員会で、歩哨所などを移設・保存できないかを話し合い、役員を中心に保存に取り組むことに決まりました。
(高射砲第2連隊については、写真下をご参照ください)

この歩哨所保存について、9月9日の朝日新聞ちば版で紹介されました

歩哨所(ブログ用)
▲歩哨所(コンクリート製。高さ:基礎部分も含め、約3メートル50センチ、幅・奥行:1メートル65センチ、窓:縦23センチ、横27センチ。窓は内側床面から約1メートル40~60センチの位置に設けられている)

側門(ブログ用)
▲側門

高射砲第2連隊(東部七七部隊、近衛師団所属)
 昭和12年10月、野戦重砲兵第8連隊を母体として市川市国府台に新設され、翌年11月東葛飾郡富勢村根戸(現柏市)に移動した。太平洋戦争勃発直前の16年11月、連隊本部を始め主力は東京世田谷に移動(この際、防空第2連隊と名称変更)。さらに、19年4月、再度名称変更を行い高射砲第112連隊となった(終戦時の本部は祖師谷)。
 根戸には、高射砲第2連隊の補充隊(補充隊と称したかは不明)が残ったが、18年にはすべての高射砲補充部隊は解散。その任務は関係防空部隊き下(指揮下)の改編(新編)部隊に継承された。
 高射砲第2連隊は、陣地を固定した部隊ではなく(固定陣地もあっただろうが)、いすずやフォード等の大型トラックで高射砲を牽引した機動性のある部隊。日本陸軍では珍しい機械化部隊のひとつであったと言えよう。
※根戸の連隊跡地には留守近衛第2師団の歩兵および工兵の補充隊が入ったが、これらの部隊は、20年に東京師管区歩兵第2補充隊(東部83部隊)と東京師管区近衛工兵補充隊(東部14部隊)と名称を変更。
※終戦時柏には第111高射砲連隊(終戦時の本部は埼玉県安行村)第1大隊の第4中隊が配置されていた。中隊なので、規模はあまり大きくなかったと考えられる。   ( H.K.)

 先日、会では高野台町会の役員の方々にお集まりいただき、昔のお話と、ご存知の連隊関係遺跡・遺物を案内いただき、境界杭・防空壕跡ほかを確認しました。詳しくは別記事でご報告いたします。
(2012.9.1)
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