根戸の調査報告Ⅱ

 8月27日に高野台町会役員の皆様に、地元で戦時の遺構と言われている場所を案内していただきました。そのあと9月7日と14日で、聞き取りや学校の記念誌等の確認、遺構・遺物の計測を実施しました。
 まだ調査は進行中ですが、現時点で戦時に関係する遺構・遺物としては①馬糧庫、②境界杭、③防空壕跡が挙げられます。高野台にあった軍施設については『平和へのねがい(増補版)―昭和63年1月―』(柏市教育委員会)と『歴史アルバムかしわ―昭和59年11月―』(柏市)にそれぞれ略図が掲載されています。戦後の空中写真と比較すると『歴史アルバムかしわ』の方が建物の位置関係は正確である一方、『平和へのねがい』の図には施設が多く書き込まれています。この2枚をもとに調査した報告は、まとめるのにもう少し時間がかかりそうですが、何らかの形でご報告しようと思います。
なお、9月15日時点で、高野台町会役員・根戸周辺在住の方々計12人を始め、富勢中学校等のご協力をいただいています。厚くお礼を申し上げます。
  (2012.9.15 J.U.)
1)馬糧庫
馬糧庫1(ブログ用)
馬糧庫2(ブログ用)

◆馬糧庫の屋上にある2つの逆L字型の柱は「クレーンのようなものだったのでは」と多くの人が推測されています。何を屋上に吊り上げたか。馬糧庫と言われていますので、可能性の高いのは馬糧です。では、どのようにして、また何故屋上まで上げる必要があったのか。地元の方の聞き取りを進めるうちに、建物の構造が現在と異なっていたことがわかってきました。
 後日、「根戸の現地調査Ⅲ」にまとめます。

2)陸軍境界杭(6本、9月14日現在)
境界杭
杭の大きさはまちまちで、地上部分で約33・30・73・48・36・60センチ。

3)防空壕跡
防空壕1(ブログ用)

防空壕2(ブログ用)
◆小規模な防空壕跡がほとんどですが、この壕(下の写真)はかなり大きなものです。地元の方(大正14年生、昭和20年1月まで高野台周辺で生活)のお話では、「台地西側斜面の防空壕は兵隊がつくったもの。当時このあたりの民間の人は、自宅敷地内につくりました」。この壕は台地の端を掘り込んだ三日月型で、現在でも開口部は約18メートル、奥行きは14メートルありました。なお、防空壕の穴は現在埋め戻されています。

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